Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「身念処」2-18

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

修行者が注意しなければならない事は、「修行の為」と称して、家事や雑事を早く終わらせようとしてはならない事である。

この種の「修行しなければならない」という貪欲は、一種の煩悩である。というのも、修行者は、法を見たい(+と焦っている)からである。

日々の仕事は、苦を体験するよい機会を提供してくれる。もし修行者が、定に偏りすぎている場合、日常の作業は、偏った定を取り除くよい機会になる。

4)修行者は、なすべき事をなす。すなわち:

a)姿勢。あなたが座る姿勢から、立つ姿勢に変わるのは、苦を治する為であり、これは必要な事柄である。そして、この因(苦)は、必ず、あなたが姿勢を変える前に出現しておらねばならず、あなたが歩きたいと思ったが故に歩くのではない(+ようにするor +事に気が付くようにする)。

苦が迫って、あなたが姿勢を変換せざるを得なくなって後、初めえ姿勢を変換する事。

b)食事。これは苦を治するについて、必要不可欠な行為である。飢餓が、我々をして食せしめるのである。

c)厠。これもまた、苦を治するに必要な行為であるーーあなたが厠に行かない事は、不可能である。

d)体温を下げる。もし、身体が熱い時、扇風機をつけるとか、水を被るとかして、苦を治する。これらはみな「如理作意」でもって行わねばならない。もし「如理作意」によって観照する事がないならなければ、これらの行為は貪念によってなされるーーそのために、煩悩もまたその中に入り込むのである。

しかしながら、日常生活の中で、通常の修行に対して、ある種の干渉が起こる事がある:

a)誰かが訪ねて来る。

b)食べ物や品物が、クティ(住まい)に届けられる。

c)修行者に、何かの相談事を持ちかける人がいる。

d)突発事故。突然の停電等。

上記の事柄は、通常の方式で処理する。

修行者は、これらの事柄は vipassanaの修行とは関係がない事を、知っておかねばならない。

これらを、修行(+の場)に持ち込んではならない。

(2-19につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>