<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
2-3-3-1 修行者が己自身へ発するに適した質問
1)座る色身は常であるか、無常であるか?
無常である。
2)我々は、なぜ、無常であることが分かるのか?
苦が常に我々に色身(+の姿勢)を転換させるように迫るが故に。
3)何が苦を生じせしめているのか?
身・心があるが故に。
4)心ー常であるか、無常であるか?
無常である。
5)我々は、なぜ、無常である事が分かるのか?
心は、一個の所縁に永遠に安住する事が出来ず、妄想心が生起するが故に。
6)心は、苦であるか、苦でないか?
心は苦である。
7)心が苦である事を如何にして証明するのか?
心は一か所に安住できないが故に。
身・心は、無常であり苦であり続ける。それらは無我である。というのも、それらはコントロールできず、(+故に)「私」ではない。
あなたがこの事を体験・証悟するならば、法を見たことになる;あなたが見ている法は、苦であるし、あmたそれは苦諦を体験・証悟することへと導くことができる。苦諦とは、暫定的に身・心の苦を治するこという。身・心は迅速に生・滅しており、これは我々にとって、改変することのできない事実である。
8)座る色身とは何か?
姿勢全体または我々が座っている、その様子自体が色身である。
9)何が座る姿勢を観照しているのか?
座る姿勢を観照しているのは、「あなた」ではなく、三心(精進ー正念ー正知)である。
(2-26につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>