南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」3-7

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

5-2 壊随観智

この智は、ただ只管に、滅し去る身・心を見る事によって生じる智慧である。

この(+段階における)智の修行者は、内(心)、外(所縁)の崩壊する所の五蘊を見る事ができる。

たとえば、座る色身は所知(=知られるもの)であり、滅し去るものである;

座る色身を知ることのできる能知(=知るもの)は心であるが、その心自身もまた、滅し去るものである(+事を知る)。

修行者は、これまで、この種の現象を見た事がなく、その為に畏怖と恐怖を覚える。

精進、正念、正知を具足する時ーーこの智は、邪見を断じ除く事が出来るほど強力である。

滅し去る感覚が強すぎると、修行者は、ただ、この種の、滅し去る現象にのみ専注するようになり、生起の現象に注意を払うことができない。身・心の、このような崩壊現象を見る事によって生じる智慧は、修行者にとって、非常に大きな影響を与える。

というのも、彼は、天地の万物が不実(=実体がない)であり、生・滅するものである事を体験・体得したからである。

この智が成就するならば、顛倒妄想ーー「常」顛倒想と呼ばれるものーー身・心は常であると執着する所の邪見を、断じ除くことができる。

この智が成就すると、修行者は、これは正しい修行方法であると実感する事が出来る為、他の誤った修行方法を試そうという気持ちは、二度と生起しない。

この智は、煩悩を断じ除き、抜き去る第一歩になる。

そして、この智から始まって、最後の階智(道智)まで、修行者は、継続的に煩悩を断じ除く事になる。

煩悩は、徐々に断じ除かれていくが、これらの煩悩は、一人ひとりの人間が、無始以来、生死輪廻の中に沈潜していた、将にその<場所>なのである。

この智を証悟した場合の八種類の功徳と利益:

1)未来において(+得るかもしれない)、如何なる形式の「有」(生命形態)も、何等の楽趣も感じられない。

2)この生は苦である、という事を体験・体得したので、この生は、如何なる楽趣をも、言い立てる事ができない。

3)苦の滅に対して、強烈な楽欲を生じる。

4)彼がもし、比丘であるならば、簡素な生活必需品があれば十分である、という気持ちが生まれる(少欲知足)。

5)比丘であれば、厳格に持戒したい、という強烈な欲求が生じる。

6)この智を証悟した人は、戒に違反しなくなる。

7)修行者は、責務を果たす事、忍辱、他人の煩悩に同情する事に、楽しみを見出す人になり、また、騒音などの干渉の影響を受けなくなる。

8)楽と不楽の感受を超越する。

(3-8につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>