南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

もし、大きな魚を小川に入れたならば、この大きな魚は、非常な苦痛を感じるに違いない。

なぜか?

というのも、小川が小さすぎて、自在に泳ぐ事ができないが故に。

しかし、もし魚を大海の中に放ったならば、彼は悠悠と泳ぐことができる。

同様に、仏陀の一切知智は、《発趣論》を省察した時に初めて、頂点に達する事ができた。

《発趣論》は、《アビダンマ論》の中に列挙される名色法の(+相互の)間において、それは、如何なる種々の方式によって、連携が生じるのかを、詳細に述べているものである。

それは縁起法を解説しているが、それはすなわち、縁法がどのようにして、特有の縁力に依存して、縁生法を生起させるのか、を述べているのである。

故に、《発趣論》全体はすべて、縁起法について、述べているのだと言える。

その中(=縁起法)には、不変の実体、または主宰(+者)というものはなく、衆生もなく、あなたもなく、私もなく、彼もなく、ただ身体と心が相互に関係し合う過程があるのみであって、それらは純粋に、無常であり、無我なる現象である(+ことが分かる)。

仏陀は言う:「縁起を見る者は、仏を見る;仏を見る者は、縁起を見る。」

縁起とは、仏教の全体の教理の中において、最も重要な教法である。

縁起を理解して初めて、無我の真諦を理解する事ができるのである。

本書において検討されるのは、名法と色法の間において、どのようにして相互依存の関係が成立するのか、という問題であり、それはすなわち、諸縁が持つ所の特有の支持力ーー24縁について語られているのである。

一、縁法(paccayadhamma):

これは、他の法縁となる法である。この縁法は、生じる事、支える事、または他の法を維持する事によって其の縁となる縁である。

二、縁生法(paccayuppannadhamma):

これは、縁法の支援を受ける法である。それは、縁法の支援の下、生起するかまたは、その存在を持続させるものである。たとえば「12因縁」の第一支「無明縁行」のその意味は、無明が生起するが故に、行が生起する、という事である。

無明は縁法であり、行は縁生法である。

三、縁力(paccayasattai):

これは、縁法が、縁生法の縁となる特別な方式である。合計24の縁力が存在する。

(1-3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>