<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
貪・瞋・痴は、不善根、または不善因縁と言う。というのも、それは己自身の害し、他人を害するが故に。それは悪業の根本である;無貪・無瞋・無痴は善根または美根と言う。というのも、それは己自身を利益し、他人を利益するが故に。それは一切の善業の根本である。
ここにおいて、我々は、貪・瞋・痴の意味に深入りしないが、しかし、貪・瞋・痴は、ただ単なる大貪・大瞋・大痴に留まるものではなく、少しでも貪があれば、貪であるという事を強調したい。
たとえば、何かを食べる時、食べる事を楽しんでいるのも貪である。
心中に些かの不興があれば、瞋恚であり、他人を叩く、怒鳴る、殺人をするだけが瞋恚なのではない。故に、ここでいう所の貪・瞋・痴は、最も微細なものから、最も強烈なものまで、異なるレベルの、すべての貪・瞋・痴を含む、と言うのである。
(1-6につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>