Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

貪・瞋・痴と無貪・無瞋・無痴は、縁法であり、それらの縁生法は、一つの因ごとに相応する名法及び俱生の色法である。

俱生色とは、結生の時に生起する業生色、及びその生命の生かされている間生起する所の心生色である。

それはちょうど、根というものが、樹木を存在させ、成長させ、安定させる根本であるのと同じように、これらの因は、縁生法を誘発し、かつそれらを安定させる。

我々は先に貪因を研究したい。というのも、貪愛は輪廻の根本であるが故に。我々は、貪がどのように生起するのかを知らなければならない。知ることによって、我々は、生起した貪を調伏することができる。

貪愛はどのようにして生起するのか?

通常、貪愛は、喜ばしい、愛すべき六塵の上に建立される。

もし、何かの物が喜ばしくもなく、愛すべきでもない時、我々はそれに執着する事はない。

ちょうど、一人の美人が、他人の目を引くように、醜悪な女性が他人の目を引く事が無いように;

同様に、喜ばしく、美しく、愛すべき六塵ーー色、声、香、味、触、法は、我々の貪を誘発し、それらを得ようとして、業を造る。

我々が六塵を享受している時、それらは確かに、我々に楽しさを齎す。

たとえば、テレビの連続ドラマを見る事が好きな人は、ドラマ(愛すべき色)を見る時、心は非常に楽しくなる;

音楽(愛すべき音)を聴くのが好きな人は、音楽を聴くと、心は非常に楽しくなる;

香水が好きな女性は、香水(愛すべき香)を身に振ると、仕事をしても楽しくなる。

喜ぶべき、愛すべき六塵は、確かに我々に楽しさを齎してくれる。

そしてそうであるが故に、衆生はその中に沈潜してしまう。

たとえこれらの欲楽に禍があるとしても、人々は、この欲楽に対する執着を、放棄することができない。

なぜか?

というのも、貪根心が悪さをしているのである。

当然なことながら、もし、いまだ真正に欲楽の禍を見通すことのできないのであれば、人々がそれを放棄する事もまた、困難なのである。

《中部》(Majjhimanikaya)の中で、仏陀は一つの物語を語っているが、それは我々に対して恐怖の気持ちを齎すもので、下記において、紹介してみたい。

ある人が、生まれながらの失明者であった。彼の友人が(+自分の持っている)白い服は、非常に美しく、純白で、純潔、それを着ると、非常に心地よく、楽しい、と言った。

この失明者は、心の中にある種の感慨が生まれ、その白い服に執着した。

【ここでは、痴が縁法で、白い服に対する巨大な執着は縁生法で、縁力は因縁である】

彼は家に帰ると、母親に言った:

「お母さん、私に真っ白な、汚点のない服を下さい。私はそれが着たいのです。」

彼の母親は言った:

「あらら、あなたは生まれながらの失明者で、白だの黒だの青だのは、あなたにとってどうでもいいことです」

しかし、この失明者は、白い服に対して非常なる執着を擁していたので、母親がどのように言っても

「見えなくても、私は白い服が欲しい」

と言い続け、しかし、母親は取り合わなかった。

彼は友人の処へ行って

「あなた、私に純白で、汚点のない服をプレゼントしてくれませんか?」

と頼んだ。

友人は

「彼はどうせ目が見えない。私が彼に白いのをあげても、黒いのをあげても、どうせ同じことだ」

と思い、友人は彼に炭より黒い、ボロボロの服を上げた。

失明者は、嬉しくなってそれを身に着け、彼が夢に見、執着した願望は、実現した、と思った。

そして、彼は人々に向かって自慢した:

「おい、お前。私が着ている、この純潔で、白くて綺麗な服を、見てご覧なさい」

多くの人々は、彼を嗤った。

「この失明者はバカだ。彼が着ているのは黒くてボロボロの服なのに、彼は自分が白くて綺麗な服を着ていると思い込み、得意になって、喜んでいる。」

この事が母親の耳に入り、彼女は思った:

「ああ、私の息子。私に恥をかかせて。私は彼に真実を話そう。」

そして、息子の前で言った:

「息子よ。あなたが着ているのは黒くて、ボロボロの服です。それはあなたが思っているような白い服ではないのです」と。

(1-10につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>