<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
煙草好きな人を例にとれば、彼は煙草が好きである、というのも、煙草は彼に楽しさを齎してくれるから。
しかし、長期間煙草を吸ったのが原因で、彼は肺がんを患う(+であろう)。肺がんはまさに、欲楽を享受した為の禍である。
今、肺がんの蔓延を阻止して、命を救う為には、彼は煙草への執着を放棄するしかない。
同様の理由で、我々にとって、欲楽、六塵、我々の色身と命に対する執着をば、真正に放棄した時にのみ(+救いがあるとしたら)、第一番目にしなければならない事、それの禍を見通す事である。
禍を見通した後であるならば、我々は自動的、自然的に執着を手放すことができる。
我々は、次に、無貪を見てみよう。
無貪の人は健康な人である。
というのも、無貪の人は、なんでもお構いなしに食べるという事をしないが故に、彼の身体は健康を保つことができる。
【ここにおいて、無貪は縁法であり、身体の健康は縁生法であり、縁力は因・縁である。】
無瞋とは怒らない事で、無瞋の人は、青春渙発の人である。
なぜであるか?
みなさんは以前経験した事があると思うが、我々は怒るやいなや、身体は発熱するが、これ(=熱)は心生色によって造られるのである。
怒りの心によって生じた、一つづつの八法聚色法の中には火界があり、この火は特別に強く、地、水、風界より強い(+性質をもつ)。
このような強烈な火は、人に皺を造りだし、頭髪は白くなる。
無瞋の人は、あまり怒らない為に、特に青春を保ち、美しく、高価な化粧品を買わなくてもよく、ただ多く無瞋を修習すれば、青春を保ち、美しい人でいられるのである。
無痴(智慧のある事)は、長寿の縁法である。
というのも、智慧ある人は、何が己にとって、利益であるか、何が己にとって不利益かを知っていて、悪を避けるが故に、長命になって100歳まで生きるのである。
【故に、無貪は健康を保つ縁法であり;無瞋は青春を保つ縁法であり、無痴は長寿を保つ縁法である】
(1-12につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>