<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
睡眠の時以外、我々の六根は、刻々開放されている。
目は毎日何かを見ているし、耳は毎日何かを聞いているし、鼻は毎日何かを嗅いでいるし、舌は毎日何かを味わっているし、身体は毎日何かに触れているし、意識は毎日何かを考えている。それらは毎日、それらは、毎日、六人の強盗と一緒にいて、毎日強盗に襲われているようなものである。故に、我々は、毎日の一刹那毎に、目がものを見る一刹那、耳が音を聞く一刹那・・・、いつも業を造っているのである。業がひとたび造られると、業力が残される。業力は、熟すと次に輪廻を誘発する。
では、六人の強盗が、我々の目、耳、鼻、舌、身体と意を襲わないようにするには、どのようにすれば良いのか?
(2-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>