では、どうやって守るのか?
目を閉じたり、耳を塞いだり、鼻をつまんだりするのだろうか?
根門を守るということの意味は、我々は、我々の心をいかなるときにおいても、禅の修行の目標の上に置く、たとえば、呼吸などに、ということを意味する。
このようにすれば、目は、いつもキョロキョロすることがなく、男性は、美しい女性を見ても、精神が顛倒することがなく、色々考えることがない。というのも、あなたの心は、呼吸の上にとどまっているが故に。このようにすれば、貪が生じることはない。
人があなたを罵倒するとき、あなたの心が呼吸の上にあるならば、あなたは何を言われているのか、曖昧模糊となり、故にあなたに怒りの心が起こることはない。
もし、あなたの心が出入息の上に安らいでいるならば、食べ物がおいしくても、まずくても、特にどういうこともなく、故に、あなたの舌が何かを味わっても、貪も怒りも生じることがない。
このように、根門を守ることは、心を守ることなのである。
(2-8につづく)
<スシラ・サヤレー著『24縁発趣論』中国語から翻訳>
<文責 Pannya-adhika Sayalay 願以此功徳 願正法久住 早日証涅槃>