般若の独り言~捨てて正直、オープンに
ここ、九州の盆地にも、遅い春がやってきました。
桜が七分咲き。
桜並木もいいですが、深山でひとり咲く桜は、特に美しいです。
暖かくなって、精舎は毎日、大掃除です。
3年前に緬甸で二度目の出家する前は在家であったので、その時々に買った物で、精舎は一杯一杯。
それをどんどん捨てることにしました。
本も、仏教書を除いて、ほとんど処分(孫の為の、手作りおもちゃの本は、もう暫く手元に。)
CDは、ダンマを説いたもの、耳で聞くお経のみ残して、後は処分。
何か作ろうと思って、とっておいた布地も、少しだけ手元に残して、後は知人に(機械をいじる人にウェスとして差し上げる)。
「服もいらな~い!」と言いたい所ですが、自宅にいる時、特に庭仕事など作務をする時は私服が必要です~Sayalayの法衣は働くようにできていないので、作業服は、それなりに必要。
それに加えて、ここは九州の山の中、冬はとても寒いので、セーター、カーディガン、コート類も捨てられない。
食器は多すぎるぐらいのを、カゴにいれて、棚に仕舞いました。
一鉢者と言って、托鉢用の鉢一つで暮らす出家者はいますが、私はそこまではできないので、小さな茶碗、湯のみ、小皿数枚、最低限のものを手元において、これを活用。
カゴに入れて仕舞った食器は、いずれバザーにでも出しますか。
後、法衣の整理。
ブラウス、スカート、斜めかけエプロン、大衣、皆こげ茶色(パオ出身者はこげ茶を着用)なので、ゴチャゴチャになってしまいます。
ブラウスには、首の所に綿テープの輪にしたものを縫い付けて、ぶら下げられるように。大衣もどこかにテープをつけて、下げられるようにしたい!
衣類は、箪笥に仕舞わないで、<見える化>です(一旦箪笥に仕舞ってしまうと、持っている事を忘れてしまうという、70歳にして・・・トホホ状態)。
精舎を見える化・・・オープンにする事はいい事です。
仏法に隠し拳はないので、仏教徒、出家者は、身も心も正直に、オープンなのがいいです(相手の事を思って、致し方なくつく嘘を除いて、嘘が平気な人間、嘘が常習化している人間は、衣を着ていようが、着ていまいが、<仏教徒でもなんでもない>と自覚しましょう。LedīSayādawもおっしゃっています『人間、正直でなければ、悟れない』)。
さて、今日は何を捨てましょうか?
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院/Pañña-adhika Sayalay 般若精舎>