<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
この種の努力は、一種の決断力を齎す:
「もし、人間の努力によって、最終的な真理を証得することができるならば、いまだそれを証得していない前、私は決して放逸になる事がない」
Soṇa尊者(《律蔵》大品、第五、皮革犍度《分別論注疏》)及び護眼尊者(《法句経》は、この種の努力によって精進した模範・典型である。
一人の修行者が、仏陀が一生をかけて教えられた教えに従って努力し、己の一生をかけて精進したが、しかし、いまだ禅定、道、果を証得することができないならば、証得できないその原因は、この時代性にあるか、またはこの人間が「二因者」(二種類の原因、無貪、無瞋のみ存在している人)であるか、または過去世において、ハラミツの不足している人間であるか、という事ができる。
(3-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>