南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

FDC資料「37道品ハンドブック」3-3 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

この世界において、ある種の人々は、仏陀の指示する精進のレベルとの間の、その距離が、相当に離れている。

彼らは、あまつさえ「身至念」(身体の32種類の部分の観察)に効率よく安住して、盲目的に漂流する心霊(=心)を治療するための修行をしたいとは、思わない。

彼らは言う:

彼らが「道」と「果」を証得することができないのは、時代の趨勢である、と。

ある種の、彼らに似た状態の人々は言う:

現段階の男性と女性は、彼らに「道」と「果」を証得せしめ得る、十分なハラミツに欠けている、と。

また、似たような状況の人々は言う:

現段階の男性と女性は「二因者」である、と。

これらの人々がこのように言うのは、彼らは、未了行者(注1)の段階の人々とはどういうものであるか、という事を理解していないからであり、そして、そうでありながら「正勤」を欠けているが為に、「道」と「果」を証得することができないのである。

適切に「正勤」し、かつ「専心に実践する」(Pahitatta)ならば、一千人の修行者の内、300人または400人または500人の修行者、または30人、40人、50人の修行者は、最高の成就を証悟することができる。

ここで「専心に実践する」とは、「一生の終りまで努力し、怠けず、生命を犠牲にしてでも、努力する。決して放逸しない」という意味である。

(注1)Neyyaの事。仏陀の短い開示、または詳細な開示を聞いても、道と果を証得することのできない者。彼は教義を詳細に閲読・研究し、その後に日に夜を継いで修行して、初めて道と果を証悟することができる。

(3-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>