Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

FDC資料「37道品ハンドブック」3-9 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

ではここで、私は10種類の、悪行の身見の種の紹介をして、それが如何にして、身見になるのかを見てみようと思う。

犯罪性のある粗雑、粗暴な身見とは、公開的な言動によって構成される悪業であり、<煩悩のまとわりつき>(中等レベル)とは、思想の中に生じる罪悪であり、随眠という微細な身見の罪悪は、無尽の輪廻を経ている内に、衆生の自我の中に埋蔵されているものである。しかし、この種、<随眠>の罪悪は、いまだ行為、言語または思想の中に顕現してはいない。

我々は、マッチ箱の三種類の炎によって、この事を説明する事ができる。

一番目の炎は、マッチ箱全体に隠されている;

二番目は、マッチが摩擦されて後、燃え上がる炎の事である;

三番目はマッチの炎と何かが接触した為に、その他の物に延焼したものである。

この種の炎は、ゴミ箱、衣服、家屋、寺院、村落全体に燃え広がる炎である。

その他の対象に燃え移った炎、それは粗雑、粗暴な「犯罪身見」だと言える。

マッチ自体、マッチだけが燃えている場合の炎は、中等の「煩悩のまとわりつきによる身見」である。

思想等の対象に接触して初めて、心霊(=心)の中に顕現する。

マッチ箱の中に隠されている炎は、微細な「随眠身見」であり、無尽の命の輪廻が原因で、有情の生命の中に埋蔵されている。

マッチ箱の中に隠されている炎は、マッチの端が、マッチ箱の硝石と接触しないならば、燃え上がる事はない。

それは、たとえ火薬などの易燃性のものの傍にあっても、何等の傷害も齎さない。

それと同じく「随眠身見」は、悪の思想、または悪の因と接触しないならば、人の身体の中に長く隠されていて、顕現する事はない。

しかし、悪の思想、またはその他の悪因が、六根に入り込む事によって、「随眠身見」は、騒乱・心の乱れを起し、意根の中に顕現するか、または意志の作用を通して、「煩悩のまとわりつき」のレベルの中に顕現する。

この時、もし善くて巧みな教えによって、これらの兆候を克服する事ができるならば、それらは「煩悩のまとわりつき」レベルから消失して、「随眠」のレベルに戻っていく。

それは潜在する本性のように、そこにおいて留まるのである。

もし、騒乱・心の乱れを克服する事ができないのであれば、それらは引き続き、意志による作用という形をとって、顕現する。

もし、それらが(「煩悩のまとわりつき」のレベルにおいて)更に(+心が)乱されるならば、悪語または悪行の形式で顕現する。

(3-10につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>