<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
この世界において、もし、一人の修行者が「犯罪」と「煩悩のまとわりつき」のレベルにおいて、自我をコントロール(制御)する事ができ、かつ、もし彼の行為、言語と思想について、己自身によってコントロールできるが故に、清浄であり、汚染を受けないならば、この人は、善良であり、敬虔であり、または道徳のある人間であると言える。
しかし、この種の人間は、「随眠」のレベルまでは察知していない。
もし、「随眠」のレベルにおいて、未だ、根を取り除いていないのであれば、「犯罪」と「煩悩のまとわりつき」のレベルにおいて、完全なコントロール(制御)ができていたとしても、この種のコントロールは、暫定的なものに過ぎないのである。
もし、この人が、強くて力のある(+心境でもって)、良好な模範として振る舞うならば、この種のコントロールは、一生続くことができる。
しかし、来世において、今生と同じであるかどうかを、決めることはできない。
というのも、「犯罪」と「煩悩のまとわりつき」という、この二種類のレベルは、再び、浮上してくる可能性があるからである。
貪・瞋・痴もまた、それぞれ、三種類のレベルがある。身見の、この三種類のレベルを徹底的に打ち壊す為には、人々は、必ず戒・定・慧の三学において、奮闘努力しなければならない。
彼らは「七清浄」を修習しなければならないのである。
(3-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>