Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』3-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

智慧とはなんだ!」

智慧とは、因縁法と諸行の無常・苦・無我の本質を洞察する事だ。

お前が私を、馬の尻尾から解き放した後、お前は私を、谷底へ突き落すと脅した。

その時、私はお前に何と言った?

私はこう言った:

『私を脅せるなどと、妄想するな。

私は何も恐れないのだから!』と。

これは無我を知っている所の智慧だ;

その後にお前は悪魔に、また悪龍に変身して、私を脅して攻撃しようとしたが、私はそれでも恐れなかった。

それは因縁法と、無我を知っている所の智慧だ。」

「森の中に、我々二人しかいない。

何時如何なる時でも、お前の心境や、心情に変化があったならば、お前の顔色もそれに従って変化する。それを私は察知することができる。

これは観察の智慧だ。」

「慙ってなんだ!」

「慙とは、悪事を働く事に恥を知ることだ。

お前が私の家で、私を高座から引きずり下ろして、私の手足を縛り、私に粗暴に対応した、私を馬の尻尾に縛り付けたが、あのような粗暴なふるまいをするのは、恥ずかしいものだ。

しかし、お前はそれらの事柄に、何等の羞恥も感じない。

少なくとも私は、あのような行為に対して、非常なる羞恥を感じる。

これが、お前が、慙を欠いているという説明だ。」

「愧とはなんだ!」

「愧とは、悪をした後に、果報が来る事を恐れる事だ。

お前は私を粗暴にも、馬の尻尾に縛り付けて、あちこち駆け回り、その後に、私を谷に突き落とすと脅した。

お前は貪愛と我慢(māna。高慢の事)に惑わされたが、この二種類の力は、悪魔のようにお前をコントロールしている。

その為、お前は進んで私の手足を縛り、私に暴力をふるったが、お前が、これら悪魔のような仕業をなしてもなお、果報を恐れないのは、お前の心が、イランダーティーに傾いており、王女に恋慕・執着し、魂(=心)が引きずられているからなのだよ!

仏陀は言う:

『愛の縁により、取が生起する;

取の縁により、有が生起する。

有の縁により、生が生起する。

生の縁により、老死愁悲苦憂悩が生起する』と。

『有』とは、お前が今現在なしている所の、各種の悪業であり、それは新しい生命の生起を誘発する。

『有の縁により、生あり』

生は恐ろしいものだ。

というのも、生は、老、病、死とそれに随伴する所の憂、悲、苦悩、失望などを齎すが故に。

私は悪をなす事によって、齎される苦の果報が恐ろしい。

このような、悪を為す事によって、苦の果報が齎されるのを恐れるのを、愧と言のだ。」

(3-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>