Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

FDC資料「37道品ハンドブック」3-15 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

已に生じた戒・律と未生の戒・律

「未生の戒・律」とは、過去の無数の輪廻の中において、凡夫の中に一度も出現した事のない戒・律であり、それは「正語」「正業」「正命」という、この三種類の戒と律であるが、それはいわゆる「ソータパナ道」の中に含まれるものであって、かつ彼らの目標としては、涅槃が対象となるものである。

この種の戒・律は、行為、言語によって露出する所の悪行と、誤まった生活の仕方を打ち壊すことができる。

(+悪行を)打ち壊す事が始まったその刹那に、行為と言語、生活おける維持の仕方によって露出する所の悪行は、二度と出現する事はない;たとえ以後の(+輪廻の)世々代々の中においても、出現する事がない。

一人の修行者が、「無我の禅修」の修習に成功する時、はじめて出世間の戒・律を証得することができる。身を仏法の時代において、衆生は、この種の「未生の戒・律」を成就するよう精進・努力しなければならない。

その意味は、「戒・律清浄」を打つ建てる刹那から始まって(「身至念」の修行から始める)、「無我の禅修」を円満具足するまで、衆生は、必ずや、(全くの怠けなく)37道品を修習する努力をしなければならない、という事である。

過去の無数の輪廻の中でよく出てくる所の「已に生じた戒・律」は、「世間的戒・律」または「欲界戒・律」と言う。我々が、一人の修行者が、戒・律に関して安定した状態に到達するまで努力するべきだと言う時、我々は「世間的戒・律」には二種類のレベルがある事を知っていなければならない。

それはすなわち、「定法」(niyāma)と「不定法」(aniyāma)である。

聖者の境地は、「定法」のレベルにあり、凡夫の境地は「不定法」のレベルにある。 

(3-16につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

 (+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>