<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
「ソータパナ道」にある聖者は、「欲界世間戒・律」が「定法」のレベルに到達する。
「ソータパナ道」の聖者は、たとえ夢の中でさえも、「活命戒」を犯す事はなく、輪廻を経て、最後には完全な涅槃を証得する。
しかし、一般の凡夫においては、「欲界世間戒・律」は、いまだ「不定法」のレベルにある。
これら凡夫は、過去の無数の機縁において、すでに徳行、倫理を有する修行者であったが、しかし、彼らは無数の三悪道において、受難した経験がある;
そして、その他の機縁においては、彼らは、有徳の仙人であったり、比丘であったりした事がある。
しかしながら、過去生の中で、彼らはいまだ三悪道に堕ちこむ危険性から脱出していない。
現在、身を三悪道に置く衆生は、計算しがたい程(+多いの)である;
三悪道に堕ちそうな人類、天人、梵天もまた計算しがたい程、多いのである。
故に、「欲界世間戒・律」を具足する衆生は、いまだ「不定法」の中にあり、言い換えれば、暫定的にそれを擁しているのだと言える。
まさに仏法の時代において、彼らは「不定法」から「定法」へ、転換するべきである。
彼らは「身至念」に安住し、それがひとたび成就したならば、「無我の禅修」を成就するまで、37道品を修習するべきである。
善業に関する二種類の戒・律の説明を、ここで終える。
(3-17につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>