<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
已に生じた禅定と未生の禅定
禅定にも二種類のレベルがある。
すなわち、「定法」と「不定法」の禅定である;同様に、智慧にも二種類のレベルがあり、それはすなわち、「定法」の智慧と、「不定法」の智慧である。
一人の修行者が、「アナーガミ」の境地に到達する時、「安止定」ははじめて、「定法」の禅定になる。
そして、この種の「安止定」は、八種類または九種類の定(八定の上に滅尽定を加えたもの)である。
唯一、阿羅漢の境地を証得した人間だけが証得した所の、如々に不動の智慧だけが「定法」の智慧であると言える。
今、私は「ソータパナ道」聖者の契入する、禅定と智慧について、説明する。
まさに《有明大経》(《中部》第43経)にあるように・・・「ソータパナ道の正精進、正念、正定は、涅槃を目標としており、それが故に、それは<出世間の禅定>であると言われる。」
この三種類の禅定(遍作定、近行定、安止定)は、「捨断(samucceda-pahāna)の力による。
それは確固として、貪婪、瞋恚の内的邪悪を根絶するが、この種の邪悪は、邪精進、邪念、邪定が源になっている。
捨断の(+実践が開始された、その)刹那から始まって、これ以降、何度輪廻しても、この種の貪婪、瞋恚は、二度と、生起しない。
(+修行者の心に)「無我の禅修」が顕現する時、この種の禅定は、唯一仏教の中で成就することができる。
故に、我々が仏法に出会っている今、衆生は、仏法の縁が尽きる前に「未生の禅定」を証得するよう努力しなければならず、決して怠けてはならない。
この事は、「身至念」から始めて、37道品を修習しなければならない、という意味であり、それは「無我の禅修」が成功裏に具足、証得されるまで(+続けられなければならないのである)。
(3-19につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>