FDC資料「37道品ハンドブック」3-20 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
長い間、無尽の輪廻を通して、「身見」はすでに我々の人格の中に、塑造として作られている。
それは打ち壊される事無く、その為に(我々の心の中は)貪欲、瞋恚、痴などの煩悩が、引き続き強烈であり、雑多で、力を持っているのである。
それらは、我々の心の中に住み着いた原住民(ママ。差別用語ではない)であると言える。
この種の状況の下で、煩悩の敵となる戒・律、禅定と智慧は、偶然訪れる客のようである。
彼らの訪問は、外部の敵が、Āḷvaka(鬼の住む食人国。《相応部》(夜叉相応))に侵入したようなものであって、これらの食人鬼は、非常な力を持っている。
ここに侵入した外来の敵は、往々にして、これら食人鬼に食べ物として食われてしまい、住まいも壊されてしまう。
ある時、500人の仙人が、シュミ山からこの食人国に来たが、食人鬼は、500人の仙人の足を掴んで、すべて恒河(=ガンジス河)に投げ込んでしまい、500人の仙人は、跡形もなく消失してしまった。
こうしたことから、凡夫、仙人と比丘たちは、幸い今生で仏法に出会えたのであるから、また、来世は罪悪から離れたいと願っているのであるから、また、己自身の身の上に、たとえば「戒・律清浄」の法を打ち立てたいと願っているのであるから、適切に、正しく勤めて四念処を修習し、「随眠」レベルの身見を、打ち壊さなければならないのである。
(3-22につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>