Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

FDC資料「37道品ハンドブック」3-21 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

もし、彼らが、愚・痴(=愚かと無知)の中から解脱したいと願いながらも、しかし、この種の愚・痴とは、智慧の欠けた暗黒の中に落ちこむ事を意味し、かつ、(+彼らから)仏法僧の神聖なる特徴の記憶と、仏法を弘める貴重な情操を、抜き去るのであるならば、来世において、(+彼らの心の中に)何等の(+仏法の修習における)痕跡も残すことがない;

彼らが、巨大な「邪法」から解脱したいと願っているのではあったとしても、これらの「邪法」は、かつて、無尽の輪廻の中で、彼らをして、一切の偽の仏法に近づきせしめ、敬礼せしめていたのである。

故に、凡夫の立場から言えば、彼らは真実の仏法を知らず、真実の法を知らず、真実の僧(=サンガ)を知らない、ということである。

もし、彼らが今生、今世にから始めて、「信」を証得し、「慧」を証得したいと思うなら、このことを借りて、真実の仏、真実の法、真実の僧に、心頃より礼拝したいと思う心を、生起せしめることができる。

もし、彼らが、これら一切を「定法」としたいと思うならば、適切な正しい態度で、四念処を修習し、「随眠」レベルの身見を、打ち壊さなければならない。

こうした事から、適切な正しい態度での修習とは、「皮膚が枯れても、骸骨が枯れてもなど等」の堅固とした決意によって、完成されるものである事を、意味するのである。

「正勤」に関する説明は、これで完了する。

(3-23につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出

 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>