FDC資料「37道品ハンドブック」4-4 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
「神足」(iddhipāda)という、この文字の意味は:
「円満に証得する為の基礎を、神足と言う」である。
「神足」は合計、四種類あるが、
それは:
欲神足、勤神足、心神足、観神足である。
「欲」(chanda)は、証得したい、達成したい、円満(+に成就したい)、完成させたい、という欲望の事である。
ここで言う所の欲望とは、一種極端な、過度の欲望を言い、なにかが、または誰かが阻止できるようなものではない所の、そういう種類の欲望である。
この種の欲望は、以下の様な考えを引き起す。
すなわち「もし、私が、今生において、この種の円満なる状態を証得しないのであれば、私は安心したり、満足したりしない。
もし、証入することが出来ないのであれば、死んだ方がましである。」と。
迦葉仏の時代(ゴータマ仏の前の仏)、バラナシの法泉王(Dhammasonda)(Rasavāhimī、Jambūdipuppaṭṭi-kathā)は、まさにその種の欲望を持っていた。
法泉王は己自身に向かって言う:
「もし、私に機縁がなくて、迦葉仏の教えを聞くことができないのであれば、バラナシの国王となったとて、何の意味があるだろうか?」
こうして、彼は国王の地位を捨てて、迦葉仏の教えを復唱できる修行者を探しだして(+満足した)。たとえ彼が、ただの短い偈を一句言えるだけの、修行者であっても。
(4-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>