FDC資料「37道品ハンドブック」4-5 ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
ちょうど、ビンビサーラ王(《小部》(戸外経))や、ヴィサーカ居士、及びアナタビンディカ長老(《法句経注疏》第一偈頌、参照)の例のように、もし、この種の欲望が満足されて、初めて(+その人は)安心、安息する。
ここにおいて、微妙に暗示されている事は、この種の欲望は、証得することができるものである。ただ、いまだ、円満に具足していない時、その心霊(=心)は迷い、惑う事があり、かつ、もし、この種の欲望を円満に具足できないならば、死んだほうがましだ、という考えが浮かぶ事がある。
Temiya王(《本生経》(唖躄本生譚))、護象王(《本生経》(護象本生譚))及び仏陀在世の頃の多くの国王、賢人、富豪たちもまた、この種の欲望を持ち、彼らは王宮を捨て、従者を捨て、その他の贅沢品を捨てて、仏陀のサンガに入って、生活した。
(4-6につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>