南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』3-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

2、精進俱生増上縁

《本生経》の中で、ある一人の菩薩の物語は、「精進神足」の説明に該当する。

ある時、菩薩は大勢の人々と、船に乗って遠くへ出かけたが、その途中、船は暴風雨に出会い、あっという間に沈没しそうになった。

船上の人々は、死ぬのを恐れて泣き叫んだ。

菩薩は思った:

「泣いても意味がない。私は普通の平凡な人間ではない。私は私の精進力で、己自身を救わねばならない。」

船が沈没した後、彼は精進力でもって、大海の中の七日七夜、泳いだ。

海神は、菩薩のこのような精進を見て、大いに感動し、神通力でもって、菩薩を救い上げた。

精進神足が生起する時、達成できないものは、ない。

それは同時に、その他の俱生の名色法を総べ、それと同時に前進するようにする。

それは、たとえ火の中、水の中であっても、後退する事がない。

3、心俱生増上縁

心神足」とは、普通の心の事を言うのではなく、それは目標に対して、非常に打ち込み、寝食を忘れるほどのレベルの事を言う。

たとえば、発明家のエジソンは、一生の間、ほとんど実験室の中にいた。

妻は心配して、言った:

「あなたは毎日実験室で、苦労されている。どうか、一日休んで、外でゆっくりして下さい。」

エジソン

「そうだね。そうする」と答えたが、

次の日起きてみると、妻はエジソンが実験室にいるのを発見した。

「あなたは、今日はお休みだったのではないですか?」

エジソン

「実験室こそが私のリラックスできる場所なのだ。ここにいるのが、一番楽しいのだ。」

この種の(+心を)俱生増上縁と言う。

心神足が生起するやいなや、その他の俱生名色法を総べ、それと同時に前進せしめるのである。

4、慧俱生増上縁

「慧神足」とは、普通の智慧を言うのではない。

一般的に、我々が生・老・病・死を見た時、なんらの感触も持たないが、しかし、シッダッタ王子が生・老・病・死を見た時、心の中に、非常に大きな懼れを感じた。

成就された智慧により、彼は考えた:

「死があるのであれば、不死の道もあるに違いない。」

こうして、彼は栄華、富貴の生活を捨て、彼が自由に解脱するのを束縛する所の家庭を捨てて、一人で不死の道を探した。

六年間の艱難辛苦の修行の後に、菩薩は最終的に殊勝なる慧神足によって、正等正覚を成就したのである。

我々が、観禅(=vipassana)の修行をする時、智慧が、名色の無常・苦・無我を観照する。

この時、智慧は、俱生増上縁であり、それはその他の俱生心所をして、すべての心所が、無常・苦・無我を観照するように、その方向へ向かわせしめるのである。

観の修行の時、観または智慧は、最も顕著な心所となる。

この四種類の俱生増上縁(欲、精進、心と慧)は、非常に強大で、かつ(+全体を)総べる能力を有しているが、それは、ただ速行心においてのみ発生し、その他の心には発生しない。

その他の心は、全体を総べる能力がなく、ただ速行心だけが、この力を持つのである。

(4-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>