<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
如何なる修行においても、修行者本人が実践し、かつ早急に掌握して初めて、適切な修行であると言える。
もし、修行が修行者を掌握する(=修行者の負担になる)ならば、それは適切ではない。
いわゆる「修行が修行者を掌握する」とは、修行の過程において、エネルギーが枯渇し、具体的な成果もなく、何日も無駄にしたあげく、身体に不快な現象が起き、最後には懈怠になる事をいう。
懈怠が出現すると、修行は進まず、修行が進まないと、一層懈怠に嵌る。
そして以下のように思う:
「修行の形式を替えよう。」
こうして、常に、修行の形式を替えるようになる。
これを、修行が修行者を掌握する状態、と言うのである。
(5-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>