<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
輪廻の過程において、この一生の生死から、次の生の生死まで、その過程は、常に無間縁であると言える。
輪廻の過程を見てみよう。
この一生において、我々は、非常に多くの善業を実践した:
布施、持戒、聞経、功徳の回向、奉仕など等。
臨終の時、もし、その中の一つの善業が熟したならば、ある種の相が出現する・・・たとえば、我々は、天神の影像(趣相と言う)を見る事があるが、これは、我々が往生する先が、天界である事を意味している。
通常の心路過程は、七つの速行心で構成されるが、しかし、臨終速行心は、五つしかない。
というのも、その時の心は非常に弱くて、ただ五つの速行心しか、生起する事ができないからである。
有分心は不断に生・滅する。過去有分心が滅すると、有分波動が生起し、有分波動が滅すると、有分断が生起する。有分断が滅すると、臨終心路が生起し、意門転向心は、心をして、天神の影像に向わしめる。
天神の影像は、所縁縁(一つ毎の心は、必ず一つの所縁に釘付けになる)である。
臨終の五つの速行心もまた、この天神の影像を所縁として取る。二つの彼所縁は、生起する事もあれば、生起しない事もある。
その後に、死亡心が生起する。
死亡心が滅すると、まったくの間断なく、次の一個の心――結生識または結生心と呼ばれる心が生起する。
結生心は、前世と今生をしっかりと結びつける。
結生識が滅した後、有分心が生起するが、有分心は合計16回、生・滅する。
(4-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>