<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
唯一、一人の修行者が、阿羅漢果を証得した時にのみ、全面的に「苦」の性質を体験・証悟する。
故に、長時間の精進・努力の後、直観(=vipassana)によって、一たび六界に内在する所の「無我」「無常」の本質に証入したならば、専注力の境地に安立することができる。
これは、「慧根」によって生起した所の主動的な優勢な(+心の状態である)。無始以来の輪廻によって、心霊上に形成された不安定性は、徐々に消失する。
ここにおいて、「心霊の不安定性」とは、物事は無常でありながら、恒常の感覚を擁し;苦痛であるのに、楽しいという感覚を擁し、良くないものであるのに、喜悦の感覚を擁し、無我であるのに、「私」という感覚を擁し、個人というのはないのに、個人という感覚を擁し、存在しないのに、存在するという感覚を擁し;人でないのに、人であるかのような感覚を擁し;非梵天、非帝釈天、非婆羅門であるのに、梵天、帝釈天、婆羅門であるかのような感覚を擁し;非女性、非男性、非去勢牛、非象、非馬であるのに、女性、男性、去勢牛、象、馬のような感覚を擁している。
「不安定性」の中から解脱する事は、仏法の中において保証される事柄であり、かつ真正なる実相を観察されなければならない。
(5-15につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>