FDC資料「37道品ハンドブック」 6-4 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
現今の世界において、この種の「精進」の領域は、非常に曖昧になってしまった。
今日、比丘は「身見」「悪行」に落ち込んでいる事に気が付いており、また、(+己自身が)「苦界」の中に再生した衆生の階層の中にいる事にも気がついているが、しかし、(+彼らは)施者が建立した村落の中に居住して、大量の供養を受け、大きな利益を享受している。
彼らには、この社会における、その他の人士(原文前後意味不明)、たとえば、「怠慢」に相当する一切の行為を放棄する能力がなく、そして、この種の「怠慢」の領域は、まるで大海が島嶼を飲み込んでしまうがようである。
これがなぜ、「自然精進」が脆弱であるのか、という説明である。
「修習精進」だけが、修行者をして、極めて少ない睡眠を保証し、常に(+心的)覚醒、目覚めを保ちせしめ、主動的で、懼れなく、大胆で、着実に独居し、心内は相当に堅固であるように保証する。
(+修行者は)このようにして初めて、怠慢を駆逐することができる。
37道品においては、このような「修習精進」が、求められるのである。
以下に続く説明によって、我々は「念力」、「定力」、「慧力」の詳細な意味、意義を知ることができる。
私はここにおいて、簡単な説明を試みる。
(6-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>