南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

FDC資料「37道品ハンドブック」6-7 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

ある種の人々は、前の三種類の力は非常に強い。故に、「身念住」において安立する事ができる。

彼らは、呼気・吸気の観察や、身体の骨格を観ずる事によって、専注に到達することができる。

しかし、彼らは、残りの二種類の力に欠陥がある為、「禅定」と「直観(=vipassana)」において、安立する事ができない。

ある種の人々は、禅定に入る事ができる。

これは、彼らの、前四種類の力が、非常に強烈であるからである。

しかし、彼らは「慧力」においては、非常に脆弱な為に、「直観(=vipassana)」には、安立する事ができない。

ある種の人々は、慧力において、非常に強力で力があり、かつ、三蔵に精通しており、第一義諦をよく理解しているが、しかし、その他の四種類の力において、欠陥があるため、貪欲、怠慢、失念、散乱の中から、抜け出すことができず、これらの悪業の内に生活しており、かつ、これらの悪業の中において、死ぬ。

このように、一人の修行者は、これらの「力」の中の一つでも欠けるならば、これら個別に相対応する悪法の中から、抜け出すことはできないのである。

「五力」の中で、精進力と慧力は、「如意足」でもある。

故に、この二力が強大であり、相互に補え合える時、その他の三力が弱いために「直観(=vipassana)」において、安立出来ないという状況は生まれない。

仏陀在世の衛舎城では、5千50万人の修行者が、世間的罪悪から、解脱・証得したのである。

(6-8につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>