FDC資料「37道品ハンドブック」6-10 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
これらの未了の修行者は、無知が原因で、禅の修行を通して、五力を開発する事ができない。
そして、その為に、仏法の初歩的段階、たとえば、布施、持戒、経典の研究等で満足してしまうが、それはちょうど、牛王を知らない主人が、適切な飼育をしないのと同じである。
この世界では、非常に多くの世間的事業が存在している。
これらの事業は、富の力によって完成させることができる。
ある種の事業は、知識の力で完成させることができる。
土地の耕作においてさえも、幾種類かの力を必要とする。
ある時には、先に財産、富の力を蓄積してから、その後に知識を蓄える。先行した教育と研究は、知識の力を凝縮させるものである。
同様に、仏法においては、「禅定」と「直観(=vipassana)」を修習する事、また、聖道、果と涅槃を証得する為には、「五力」必要とする。
これら「五力」を先に累積して初めて、上に述べた巨大な仕事は発展することができる。
五力の力さえも具備しないならば、これら巨大な仕事を成し遂げようとする欲望が生起するはずもなく、そうであれば、この巨大な仕事は、今生で完成するはずがない。
彼らは生きていくうえで、細心の注意を払わず、決断力にも欠けている。
もし、彼らにこれらの任務は完成する事ができるのだと説いても、彼らは聞く耳を持たない。
彼らは、これらの障礙を齎す己の考えが彼らのもとにやってくるのは、彼らが「力」に関して、まったく無知で荒とうであるからである。
彼らは「ハラミツ」または「二因」または現世の門前で恥ずかしさを感じている(ある種の人々は、「ハラミツ」が熟さなければ聖道と聖果は証得されないと固く信じている;ある種の人々は、現代は「二因」の時代だと信じている;ある種の人々は、今生において、聖道と聖果は、証得する事はできないと信じている。)
(6-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>