<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
修行者が「業処」の修行において、何らかの方法やシステムの欠如がある時、心身において、鍛錬という名の実践を、しなければならない;
しかし、ひとたび方法とシステムを具備したならば、修行者は自在になり、この種の心身の訓練において、努力する必要はなくなる。
この種の自在が、いわゆる「中捨性心所」(平安な内在的要素)であり、「捨等覚支」である。
一人のヨガ行者が、十分に「七覚支」を擁する時、仏法において、一人の沙門としての喜悦と楽しさを享受することができる。そして、この種の喜悦と楽しさは、如何なる世間的な喜・楽とは比べる事ができない程であって、それはちょうど転輪聖王のように、四大洲を統治し、七つの宝珠を擁し、譬える事の出来ない程の、リラックスと自在を享受するのである。
(7-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>