FDC資料「37道品ハンドブック」 10-10 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
「経律論三蔵」を含む所の「聖典の学習」(pariyatti-sāsanā)は、「修持法」と「仏法の実現」の基礎となる。
唯一「聖典の学習」が安立した時にのみ、その他の二種類の仏法もまた、確固なものとなることができる。
現在は「劫」が微弱な時代である。
人の生命時間は、減少している。
それ故に、「聖典の学習」を、5000年にわたり護持してきた事は、真に偉大である。
身を仏法に捧げた者(=貢献者)とその護持者、これら僧侶たちの心身の強度もまた、弱まりつつある。
故に、仏陀は予見したのである。
これら貢献者と、護持者が未来において、「聖典」を護持し、樹木の下で単独で住み、「余財」に妥協しない事は、不可能である事を。
これが理由の一つである。
修行における資糧に不足する人間について、仏陀は予見した為に、以下の様な事柄を用意した、すなわち、
広く「聖典の学習」をする事、布施、持戒、資糧の提供などなど、未来において、彼らが苦界から解脱できるように保証し、かつ、次の仏法の段階において、世間的な痛苦から解脱できるようにしたのである。
これがもう一つの理由である。
(10-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>