<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
(+比丘の)衣は、サンガの共有財産と見做すべきであり、そうであれば、それは、法的財産という事になる。
問題を起したこの比丘は、227条の毘奈耶学戒を細心に護持していた、修行者であった。
こうした事から、一枚の衣は、227条の学戒を具足していた比丘を、苦界に落とし込める事ができるのだ、という事が分かる。
そうであるならば、五戒しか受けない一般の凡夫は、財物に対して大いに貪愛、嫉妬を充満させており・・・では、その(+人生の)結果は、如何ばかりか。私からは、説明するに及ばないであろう。
こうした事から、一人の修行者は、「厭離心」(saṁvega)(世界の悲・苦を観想する事によって生起する恐怖心)を観想し、かつそれを希求しなければならない。
仏法の継承者は、以下のように分類する事もできる:
一、「決定」された継承者;
二、「未決定」の継承者。
自分自身の内にいまだ「無常智」と「無我智」が証得されていない修行者は、いわゆる「未定」の継承者に相当する。
「未定」とは、彼らは、今日は「一切智仏」の弟子、または「一切智仏」の継承者であり得るが、しかし、彼らは、明日には、一人の導師の弟子または継承者になり、「一切智仏」の仏法を軽侮し、破壊的行為する、という意味である。
今日、ある種の修行者においては、仏教の信仰から、キリスト教へ信仰を変更し、仏法を軽蔑し、ひそかに仏法を破壊する者がいる。
これらの修行者は、死後、転生した後、また再び簡単に転変するであろう。
この事は想像に難くない。
(10-14につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>