FDC資料「37道品ハンドブック」11-1 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
<付録一>
第十一章 「無我」を証入する利益
今、私は「無我」を証入した時に生起する利益について、説明する。
もし、一人の修行者が、明確に「無我」の特徴を覚知する事ができたならば、彼は「預流果」の境地に到達することができ、その事によって「我見」または「身見」を断じ除くことができる。
◎「無我」の証入と過去の業
尽きる事のない、長い輪廻の中において流転する衆生が、仏教に出会う事は非常に希な事である。
百千万劫の中において、彼らはいつも仏教に出会うことなく、仏陀の教えを聞く事もない。
無数の世と劫数の中において、衆生は先の悪業と過ちによって苦しむ。
故に、衆生の作意・思惟の中において、これら無数の業は、常に彼らをして、無間地獄に落ちらせしめる。
同様に、これら尽きる事のない業もまた、彼らをして、等活地獄及びその他の地獄に落ちらせしめるか、または、餓鬼、阿修羅、畜生などの方式でもって再生する。
(11-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>