<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
「すでに未覚を打ち破って覚悟(=悟り)を獲得した者を仏陀」となす」ーー上記の語彙は、菩提(buddhi)、菩当((buddhaṃ)、鉢多(bodho)などと関係がある。
青、赤から派生して、青い布、赤い布などの言葉が生じるように、(+仏陀の徳を知らしめるために)「覚悟の徳に相応する者は仏陀となす」等と言う。
上記は、語彙から仏陀の解説をしたものである。
(帰依行為と帰依行為を行う者について)
帰依行為などに関して(+の話題の中で)、(帰依処)という言葉がみえる時ーーまさに「它殺(ママ)(=それが殺す、彼が殺す)」を帰依(saraṇaṃ)というが、それはすなわち、「すでに帰依という行為を実践した者は、その帰依の行為によって、畏怖、戦慄、痛苦、悪趣、煩悩を殺害し、破壊し、消滅せしめる」と言う義である。
または、彼は、諸々の有情の畏怖を殺害して、利益に転じ、不利益を阻止するのを「仏陀」となす;
三つの有(bhava)である砂漠を越えて、安穏を与えるのを「法」と言う;
為す事(布施、供養、敬いの機会)少ないが、大果を得る原因となるのを「僧(=サンガ)」という。
このような事であるが故に、このような方式で、この三宝を「帰依(処)」と言う。
(2-16につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>