<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
同様に、食物も、我々の健康に影響を与える。
己に合う食物を食べた時、身体が健康であるばかりでなく、修行にも利益がある。
古代、ある一人の在家の女性が、比丘に食べ物を供養していた。
彼女は比丘に、禅修の業処を教えてもらい、修行に精進したので、サターガミ道果を証得するとともに、他心通も獲得した。
彼女は、己が供養していた比丘は、阿羅漢に違いないと思っていたが、しかし、彼女が神通で観察した所、比丘たちは、いまだ聖者でない事を知った。
彼女は、自分が供養する食物が、適切でない為に、比丘たちの禅の修行に阻害が生じている事を知った。
そのため、彼女は比丘たち一人ひとりに合う食べ物を供養するようになり、比丘たちは、この親依止縁によって、聖道を証悟した。
善業は、善業の親依止縁となることができる。
たとえば、我々が、以前になした布施などの善業を思い出す時、心中は愉快になり、再び、布施をしたいと思う。
これは、我々の、以前の善業が、我々の現在の善業の親依止縁となっている例である。
反対に、たとえば、我々が以前になした不善によって、後悔の心が起こるならば、以前の不善は、現在の不善心(後悔)を生起せしめる所の、親依止縁となる。
善法はまた、不善法の親依止縁となることもありえる。
たとえば、常に、度々、大布施をする人が傲慢になって、布施の少ない人を馬鹿にする、など;
説法に長けている法師が、説法が苦手な僧人を軽視する、など;
定のある修行者が、修行に精進していながら、定を得ることのできない修行者を見下げる、など。
(9-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>