<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
アングリマーラは、遠くから母親が歩いて来るのをみて、それが己の母親だという事がすぐに分かったが、しかし、彼の心はすでに冷酷で無情なる状況にあった為、最後の一本の指を手に入れる為に、母親を殺そうと思った。
この時、仏陀が現れた。
というのも、彼は己の母親を殺さなくても済んだから。
仏陀は神通によって、ゆっくりと歩き、アングリマーラは必死になって全力で走ったが、アングリマーラは、仏陀に追いつく事が出来なかった。
「沙門!止まりなさい、止まりなさい」
仏陀:
「私はすでに止まっている。止まっていないのは、君である!」
アングリマーラは、仏陀のこの言葉の深い意味を理解して、刀を置いて、出家を乞うた。
仏陀は出家を許可し、言った:
「善来、比丘」
アングリマーラはたちまち出家の相となった。
アングリマーラは、己が多くの人を殺し、多くの悪業を為したので、死後、必ず地獄に落ちる事を知っていた。
彼には選択の余地がなかった。
ただ勇猛果敢に精進すること、そして、もし、この生において阿羅漢聖果を証悟する事ができたならば、悪業が齎す所の苦の報いを徹底的に免れることができる。
しかし、彼は、今生の業を受ける事を、免れる事はできない。
毎朝、彼が托鉢に行くたびに、村人たちは、石や棒を、彼に投げつけた。
その為、彼は托鉢から帰ると、どこかしら怪我をして、身体から血を流した。
仏陀は彼を励まして言った:
「アングリマーラ、君は耐えなければならない。これは君自身がなした業であるが故に。このような果報は、まだ軽いのだよ。もし、君が精進しないのであれば、臨終の時、君が償わねばならない事柄は、こんなものでは収まらない。君は忍耐しなければならない。」
彼も、己の怪我・流血は、己自身の業による事を知っていたので、黙って耐えて、禅の修行に精進し、最後には阿羅漢道果を証悟した。
阿羅漢は、涅槃に入った後、二度と再び名色が生起する事がない。
故に、果報もまたそれに伴って終結し、すべての業報は消失する。
アングリマーラが以前になした不善業は、彼の勇猛果敢なる精進の親依止縁となった。
時に我々は、不善業をなした後に懺悔する事がある。
懺悔はよいが、後悔はよくない。
懺悔とは、間違いを犯した後に、再犯しない事を決意し、誓うことである;
後悔とは、何の意味もなく:「ああ、私は間違えた。私は間違えた」と思い続けるだけである。
我々が何か一つの不善業を為したとしても、再犯しないよう懺悔するならば、以前の不善は、後日、我々自身に自戒を促す、親依止縁となす事ができる。
(10-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>