<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
一、異刹那業縁
善業または不善業に関わらず、そのすべてにおいて、業縁の縁力が、名法及び業生色法を支えている。
異刹那業縁は、業と果報は、同時には生起しない事を、表している。
すなわち、植えた因は、ある一定程度の時間が経過して後はじめて、果報を生起させるのである。
たとえば、我々は、この世(=今回の人生)で布施をするが、しかし、五年後または次の世においてようやく、果報が熟す。
これを異刹那業縁と言う。
心の変化は無常であるが故に、我々は各種多様な業を造るが、結果、各種各様の果報を、体験する事になる。
業の根源は無明であり、無明とは真実法を如実に知見しない、という事である。
12因縁法によると、無明の縁によって行ありーー無明が行為を引き起すーーそれは、意業、口業、身業の行為を含むのである。
衆生は身・口・意を通して、善・悪の業を造る。
10種類の悪業、10種類の善業がある。
身悪業には三種類あり、それは:
1、殺生ーー一切の有情に対して、残虐に殺害する、殴打する、及び虐待する事。
2、偸盗ーー盗みの方式でもって、他人の財物を得る事。
3、邪淫ーー正当でない性的行為。例えば、良家の婦女、未成年の少女または有夫の婦人などと性的行為を発生させる事。
いわゆる身善業とは、上記の三項から遠く離れる事。
口悪業には四種類あり、それは:
1、妄語ーー己の利益、または他人の利益の為、嘘をつく事。
2、両舌ーー誹謗したり、故意に中傷したりして、両者を分裂させる。
3、悪口ーー粗野な、人を傷つけるような、または人を不愉快にさせる言語でもって、他人と会話する。
4、綺語ーー述べている事柄が、時節に合わず、不適当であり、事実でなく、無用なもの、真理と仏法に違反しているもの、無価値なもの、合理的でないもの、極端なもの、及び無益なものなど等。
上記の四種類の口悪業から遠く離れるのが、口善業である。
(13-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>