Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』15-8(140/200)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

■3、識食(viññāṇāhāra)

識は、目標の特徴を認識する。

その作用とは、心所の先導をする事である。

識は縁法で、その俱生名色法は、縁生法である。

識とは、六種類の心識ーー眼識、耳識、鼻識、舌識、身識と意識を言う。

日常生活において、我々の六根は、外部の六塵ーー色、声(音)、香、味、触、法と接触する時に、六識を生じさせているが、それは<認識(認知する)>の作用である、と言える。

識の生起に伴って、心所が、生起する。

ここにおいて、意識がその相応する心所を支え、強化する事によって、それらが、更に目標を徹底的に認知できるようにする。

意識は目標の覚察(=知ること)によって、生命の延長をなす。

識は、ここにおいて、異熟の結生識ーー生命の一番目の心識をも含む(+と言う)。

結生識は何を滋養し、何を強化しているのか?

12因縁によると、「識の縁によりて名色(+あり)」ーー識は、名色の生起を支えているのである。

ここにおいて、名と言っているのは、相応する心所であり、色と言っているのは、業生色である。

識は、名色を支えるが故に、

「名色の縁により、六処が生起する;

六処の縁により、触が生起する;

触の縁により、受が生起する;

受の縁により、愛が生起する;

愛の縁により、取が生起する;

取の縁により、有が生起する(有とは業を造す、という意味である);

有の縁により、生が生起する;

生の縁により、老、病、死、愁、悲、苦、憂、悩が生起する。

かくの如くに、一塊の苦蘊全体が生起する」

結生識の生起によって、12因縁の循環が引き起されるのである。

我々は、識食に対して、どのように対処するべきか?

仏陀は、我々に対して、識食は下記のように観察するべきと教えているーー

たとえば、国王が軍隊を派遣して、一人の強盗を捉まえたとする。

強盗は、国王の下に、連れてこられる。

国王は強盗の手足を縛り、街中を引きずり回して市民の見せ物にし、最後に彼を、刑場に連れて来る。

刑場で、槍でもって、彼の身体に、100個の穴をあける。

強盗が死なないので、再び100回、槍で刺す。

半日後、強盗はまだ死なないので、再び100回槍で刺すが、まだ死なない。

「比丘よ。この強盗の身体には、300の穴があいていて、手のひらの皮膚さえも、元の皮膚は見つからず、すでにボロボロである。この人間は極度に苦しいか、否か?」

「世尊、まさに極めて痛苦であります。

100回刺されるだけで、すでに痛苦であるのに、300回はいうに及びません。」

「比丘よ。識触はこのように観察されるべきである。六道を輪廻する苦痛は、300回刺された身体のように、日夜、苦痛の為に、忍び難い。

このように観察すれば、識食の相続を断ずることができる。

この相続を断ずれば、名色は、再び生じる事がない。

名色が生じなければ、道は証せられて、為すことはなくなる。

というのも、修正されるべきすべての事柄は、すでに完成されたが故に。」

(16-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより

正式に初心者瞑想指導の許可を得る)