Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』16-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

二、名根

名根は12個ある。

すなわち;信、精進、念、定、慧(五修行の根)、楽、苦、悦、憂、捨(五受根)、意、未知当知根(=未知の事を知る根)、最終知根と具最終知根である。

■1、信根

これを根と呼ぶのは、それが(+対象を)コントロールする力を、擁しているからである。

一人の人間の信心(=確信)が生起する時、その他の名色法をコントロールすることができる。

給孤独長者(Anāthapiṇḍika)は、富豪であった。

ある日、彼が実家に帰った時、仏陀の名号を耳にした。

彼が初めて仏陀の名号を耳にした時、全身に鳥肌が立ち、また非常に喜悦した。

その時、彼は思った:

「この世間において、ただ仏陀の名号を聞くだけでも難しい事である。

今、私には、仏陀の名号を聞く事のできる福報があった。

私は必ずや、仏陀にお会いしなければならない」

その時すでに夕暮れで、仏陀の住まいはとても遠かった為、彼は、翌日の早朝に、仏陀に礼拝しに行こうと思った。

夜中に彼は三度目が覚め、もう夜が明けたのだと思い、城門まで行った所、非人(=人間でない有情)が、彼のために城門を、開けてくれた。

城門を出るやいなや、光が消え失せ、一片の漆黒となった。

彼は恐怖を覚え、身を翻して戻ろうとしたが、一人の夜叉が、戻ってはいけない、と励ました。

彼の仏陀への信心が非常に強い、すなわち、信根が強い為、彼の信根が、その他の名色法をコントロールして、彼は二度と恐怖する事がなくなり、暗黒も即刻消失して、眼前は一片の光明となった。

彼は、彼自身の信心から生じた所の光明によって、当時、世尊がお住まいになっていた禅林まで行った。

この物語は、信根が、その他の名色法をコントロールすることができるという事を、物語っている。

ただ一たびそれが生起しさえすれば、それは先頭に立って(+指導的役割を発揮して)、その他の名色法を、前進させる。

五根は、その修行の過程において、非常に重要であり、バランスを保たねばならない。

修行の過程において、信根は、必ず慧根とバランスを取らねばならず、精進根は定根とバランスを取らねばならない。

アジアの仏教徒は、信根が超越的に強く、慧根が弱い。

その為、盲信しやすく、真正なる出家者が持っているべき品徳と能力を審査する能力に欠けており、安易に出家者、特に、彼らの幸福を祈願し、経を読み、看病し、吉祥物(=数珠、お守りなど)をプレゼントする俗僧を、偏向して好む傾向がある。

これらの信徒の偏向により、この種の俗僧が大いに増えているという現状は、非常に憂うべきものがある!

(16-3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより

正式に初心者瞑想指導の許可を得る)