南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』17-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

17 禅縁(Jhānapaccayo)

この縁の縁法は、縁生法をして、緊密に目標を観察せしめるものである。

この縁法は七禅支であり、縁生法は、禅支と相応する所の心と心所である(二つの五識を除く)。

縁法である所の七禅支は、尋、伺、喜、楽、一境性、憂と捨である。

楽、憂と捨禅支は、受心所に属する為、故に、七禅支とは言いながら、実際には、五種類の心所しかない、と言える。

定の修習において、尋、伺、喜、楽、一境性は初禅の五禅支であり、善に属する。

(一)尋禅支は、禅縁を通して、縁生法が目標を緊密に観察するのを支える。

例えば、我々が安般念を修する時、縁法は尋であり、尋は、心をば、呼吸の上に安置させるものである。

もし、心を、呼吸の上に安置しないのであれば、心に妄念が生じる。

故に、尋とは、心をして目標に安置せしめ、妄念を起さないようにする(+義がある)。

(二)伺禅支は、ひたすら注意力を呼吸の上に安置し、目標を密接に観察する事を言う。

尋は、心を初めて目標に安置するが、伺は、ひたすらに、心を目標の上に安置させる事を言う。

この二つは共に、密接に目標を観察するもの(=作用を持つもの)であるが、それはどのような縁を通してであるか?

禅縁である。

(17-3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより

正式に初心者瞑想指導の許可を得る)