<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
■6、正精進
正精進には四種類ある:
(1)未生の悪は生じさせない
(2)已生の悪は断じ除く
(3)未生の善を生じさせる
(4)已生の善は円満にする。
私は、この四種類の正精進について、詳細に解説したいと思う。なぜならば、それらは、すべての成就の基本・基幹であるが故に。
(1)未生の悪を生じさせない
根門を守護して、未生の悪法が生起するのを、防止する。
いわゆる根門の守護とは、目、耳、鼻等の根門をすべて締め切って、見ない、聞かない、という事を意味するのではなく、行・住・坐・臥において、一個の業処を守る事を言う。
心が、一個の禅修業処を専注する時、たとえ目が美しい物を見ていても、視ているようで、見ていないという風になる;
耳は、貪を引き起す妙なる音が耳に届いて、聞こえたとても、聴いていない風になる。
心が業処に専注する時、煩悩は目、耳、鼻、舌、身、意から入って来る事ができない。
このようにする事によって我々は、色、音(声)、香、味、触が、目、鼻、舌、身、意を打つことによって生じる、貪・瞋・痴など等を防止することができる。
この事に関して、仏陀は亀と狐のたとえ話をしている。
岸辺に亀がいて、頭と四肢を甲羅から出していた。ちょうどその時、近くに狐がいて、食べ物を探していた。
狐は、亀のいる事に気が付いて、亀を食べようとして、早速、亀に近づいて来た。
聡明な亀は、狐を見ると、四肢と頭を甲羅の中に仕舞いこんだ。
狐は思った:
「よし!私はここで待っていよう。亀が手足を出した時、私は亀を食べてしまおう」
狐は亀の傍で待っていた。
亀は思った:
「よし!私とお前、どっちが我慢強いか、比べてみよう」
狐は長い時間待ったが、亀は決して手足を出す事はなかった。
狐は退屈して、どこかへ行ってしまった。
狐は我々の煩悩のようで、一たび我々が五根を緩めると、心は、煩悩に咬まれてしまう。
心は、所縁に悦びを感じ、外塵(六所縁)に触れるや否や、即刻、貪・瞋・痴を生起せしめる。
もし、心が、一個の業処を守らないのであれば、煩悩は目、耳、鼻、舌、身を通して、我々に攻撃をかけてくる。
これが「根門を守護する」という意味である。
根門を守護する事によって初めて、未生の悪法の生起するのを防ぐことができるのである。
(18-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>