Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(3)未だ生じない善を生じせしめる

我々には、非常に多くの、いまだ生起していない善法がある。

たとえば、五戒を受持していない人ならば、未だ生じない善法は、五戒であると言える;

いまだ布施をした事のない人ならば、布施が、未だ生じない善法になる。

我々には、20種類の善法があるが、それは、身口意の10種類、布施、持戒、禅の修行、弘法、回向等の種々の善業である。

もし、いまだそれが生起していないのであれば、精進を励起して、それらを生起させなければならない。

いまだ生起しない定を生起させるためには、止(=サマタ)を修しなければならない;

いまだ生起しない慧を生起させるためには、vipassanaを修しなければならない。

(4)すでに生起した善を円満する

最後の正精進は、我々が、己自身の戒・定・慧を完成させる事である。

あなたがもし、すでに持戒しており、戒を破らないのであれば、善法は円満する。

もし、定を修しているのであれば、今の所、呼吸に専注できるのは5分であったとしても、10分、20分と、専注に精進する事を継続して実践し、やがて、禅相が鼻孔の周囲に出現するならば、次に心を禅相に沈潜させて、安般念の初禅、二禅、三禅、四禅に至れば、安般念を円満することができる。

もし、智慧を円満させたいのであれば、行法の無常・苦・無我を持続的に観照して、異なるレベルでのvipassana(観智)を体験しなければならないが、心が二度と再び、それら(五蘊)に対して幻想を抱かないようになるまで、五蘊の生・滅を体験・証悟し、最終的には、それらに執着する事のない解脱ーー涅槃を獲得しなければならない。

阿羅漢道果を証悟する事は、已に生じた善の、最終的な円満・成就である。

(18-9につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより

正式に初心者瞑想指導の許可を得る)