<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(3)未だ生じない善を生じせしめる
我々には、非常に多くの、いまだ生起していない善法がある。
たとえば、五戒を受持していない人ならば、未だ生じない善法は、五戒であると言える;
いまだ布施をした事のない人ならば、布施が、未だ生じない善法になる。
我々には、20種類の善法があるが、それは、身口意の10種類、布施、持戒、禅の修行、弘法、回向等の種々の善業である。
もし、いまだそれが生起していないのであれば、精進を励起して、それらを生起させなければならない。
いまだ生起しない定を生起させるためには、止(=サマタ)を修しなければならない;
いまだ生起しない慧を生起させるためには、vipassanaを修しなければならない。
(4)すでに生起した善を円満する
最後の正精進は、我々が、己自身の戒・定・慧を完成させる事である。
あなたがもし、すでに持戒しており、戒を破らないのであれば、善法は円満する。
もし、定を修しているのであれば、今の所、呼吸に専注できるのは5分であったとしても、10分、20分と、専注に精進する事を継続して実践し、やがて、禅相が鼻孔の周囲に出現するならば、次に心を禅相に沈潜させて、安般念の初禅、二禅、三禅、四禅に至れば、安般念を円満することができる。
もし、智慧を円満させたいのであれば、行法の無常・苦・無我を持続的に観照して、異なるレベルでのvipassana(観智)を体験しなければならないが、心が二度と再び、それら(五蘊)に対して幻想を抱かないようになるまで、五蘊の生・滅を体験・証悟し、最終的には、それらに執着する事のない解脱ーー涅槃を獲得しなければならない。
阿羅漢道果を証悟する事は、已に生じた善の、最終的な円満・成就である。
(18-9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>