<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
19 相応縁(Sampayuttapaccayo)
この縁は、縁法に属する所の名法が、縁生法に属する名法を、生起させるものである。
この縁法は名法であり、縁生法もまた名法である。
二者は、分離する事のできない、相応する所の、一個のグループとして、同時に生起する。
当該のグループの特徴は、同時に生じ、同時に滅する事で、同一の目標を擁し、また、同一の依処を擁している。
この縁において、もし、どれか一つの名法をば、縁法であるとする時、その他の相応する名法は、縁生法となる。
我々はすでに、心は、単独では生起する事ができない、必ず、心所と共に、同時に生起しなければならないのだ、という事を説明した。
もし、心が縁法であるならば、それに相応する心所は縁生法と呼ばれる;
もし、心所が縁法であれば、それに相応する心は、縁生法となる。
たとえば、美味なる味が舌根を打つとき、舌識が生じる。
舌識の生起は、相応する七つの一切心心所を生起せしめるが、その七つの心所とは、以下の通りである;
1、触ーー味、舌根と舌識を、連結させる。
2、受ーー味の喜ばしさを体験する。
3、想ーー味が甘いか、酸っぱいか、苦いか、を標識する。または、味が、常であるとか、楽であるとかを、標識する。
4、一境性ーー触、受、想・・・等の相応する名法を統一して、味に対して、集中させる。
5、名法命根ーー相応する名法の生命を維持して、各自が、各々の任務を、遂行できるようにする。
6、作意ーー心を誘導して、すべての相応する名法を、味に向かわせる。
7、思ーー二つの作用がある。
一番目は、己自身の貪を成す業である。
二番目は、その他の相応する名法を指揮して、己自身の作用を執行する事である。
たとえば、「触」を指揮して、味と、舌根と、識を連結させる;
「受」を指揮して、急いで、味の喜ばしさを、体験せしめる;
「想」を指揮して、味の標識をする。
「一境性」を指揮して、相応の名法を急ぎ統一して、目標に集中する;
また「名法命根」を指揮して、相応する名法の生命を維持する;
また「作意」を指揮して、すべての相応する所の名法を、目標に向かって誘導する。
【ここにおいて、舌識は縁法であり、その他の相応する名法ーー七つの遍一切心心所は、すなわち、縁生法である;縁力は相応縁である】
相応縁は、四つの条件を満足しなければならない。:
同時に生じ、同時に滅し、同一の所縁、同一の依処でなければならない。
この四つの条件は、心王と心所の相応する所の
条件でもある。
すべての心と心所は皆、同時に生じ、同時に滅し、同一の所縁、同一の依処によるものでなければならない。
上述の例を参考に考察するに、舌識が生起すると、相応する心所もまた、同時に生起する;
舌識が生起すると、相応する心所は、同時に滅し去る;
舌識と相応する心所はみな、味を所縁としている;
それらの依処は、すべて、舌根である。
心と色法が同時に生起する事はあるが、それらが、同時に滅する事はない。
故に、それらは不相応である。
ただ心と心所、名法と名法のみが、相応縁となる。
(20-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>