南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』19-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

19 相応縁(Sampayuttapaccayo)

この縁は、縁法に属する所の名法が、縁生法に属する名法を、生起させるものである。

この縁法は名法であり、縁生法もまた名法である。

二者は、分離する事のできない、相応する所の、一個のグループとして、同時に生起する。

当該のグループの特徴は、同時に生じ、同時に滅する事で、同一の目標を擁し、また、同一の依処を擁している。

この縁において、もし、どれか一つの名法をば、縁法であるとする時、その他の相応する名法は、縁生法となる。

我々はすでに、心は、単独では生起する事ができない、必ず、心所と共に、同時に生起しなければならないのだ、という事を説明した。

もし、心が縁法であるならば、それに相応する心所は縁生法と呼ばれる;

もし、心所が縁法であれば、それに相応する心は、縁生法となる。

たとえば、美味なる味が舌根を打つとき、舌識が生じる。

舌識の生起は、相応する七つの一切心心所を生起せしめるが、その七つの心所とは、以下の通りである;

1、触ーー味、舌根と舌識を、連結させる。

2、受ーー味の喜ばしさを体験する。

3、想ーー味が甘いか、酸っぱいか、苦いか、を標識する。または、味が、常であるとか、楽であるとかを、標識する。

4、一境性ーー触、受、想・・・等の相応する名法を統一して、味に対して、集中させる。

5、名法命根ーー相応する名法の生命を維持して、各自が、各々の任務を、遂行できるようにする。

6、作意ーー心を誘導して、すべての相応する名法を、味に向かわせる。

7、思ーー二つの作用がある。

一番目は、己自身の貪を成す業である。

二番目は、その他の相応する名法を指揮して、己自身の作用を執行する事である。

たとえば、「触」を指揮して、味と、舌根と、識を連結させる;

「受」を指揮して、急いで、味の喜ばしさを、体験せしめる;

「想」を指揮して、味の標識をする。

「一境性」を指揮して、相応の名法を急ぎ統一して、目標に集中する;

また「名法命根」を指揮して、相応する名法の生命を維持する;

また「作意」を指揮して、すべての相応する所の名法を、目標に向かって誘導する。

【ここにおいて、舌識は縁法であり、その他の相応する名法ーー七つの遍一切心心所は、すなわち、縁生法である;縁力は相応縁である】

相応縁は、四つの条件を満足しなければならない。:

同時に生じ、同時に滅し、同一の所縁、同一の依処でなければならない。

この四つの条件は、心王と心所の相応する所の

条件でもある。

すべての心と心所は皆、同時に生じ、同時に滅し、同一の所縁、同一の依処によるものでなければならない。

上述の例を参考に考察するに、舌識が生起すると、相応する心所もまた、同時に生起する;

舌識が生起すると、相応する心所は、同時に滅し去る;

舌識と相応する心所はみな、味を所縁としている;

それらの依処は、すべて、舌根である。

心と色法が同時に生起する事はあるが、それらが、同時に滅する事はない。

故に、それらは不相応である。

ただ心と心所、名法と名法のみが、相応縁となる。

(20-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより

正式に初心者瞑想指導の許可を得る)