<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
20 不相応縁(Vippayuttapaccayo)
この縁において、その縁法は、現在色法を支える名法であるか、または、その縁法は、現在名法を支える色法である。
これは相応縁と正反対(+の現象)になる。
相応縁の中の縁法と縁生法は、必ずや、名法でなければならず、色法は含まれない。
不相応縁は、もし縁法が名法であれば、縁生法は色法でなければならない;
もし縁法が色法であれば、縁生法は必ずや、名法でなければならない。
すなわち、この縁の縁法と縁生法の両者は、必ず、異なった種類に属していなければならない。
もし、その中の一つが色法であれば、もう一つは必ず、名法である;
その中の一つが名法であれば、もう一つは必ず、色法でなければならない。
これはちょうど、水と油を混ぜた時に、同じところに置いてあるとは言いながらも、依然として分離を保っているようなものである。
色蘊と四つの名蘊(受、想、行、識)は、同時に生じる事はあり得るが、同時に滅することはない。
また(+それらはお互いに)、依処、所縁も異なるが故に、不相応縁と言う。
色法の寿命は、17個の心識刹那である。
心と色法は、同時に生起する事はできるが、しかし、滅し去る時間が異なっている。
色法が滅し去る時、すでに、17個の心が滅し去っている。
それらの依処も異なる。
色法自体は、名法の依処である。
たとえば、眼識は眼浄色に依存して生起するが、眼浄色は地・水・火・風によって生じる為、それらはお互いに、依処が根本的に異なっているのだ、と言える。
それらの所縁も異なっており、色法は所縁を知ることはできず、ただ名法のみが、所縁を知ることができる。
この種(+の関係性)を、不相応縁と言う。
結生の時、心所依処と諸々の名蘊は同時に生起するが、お互いにとっては、不相応縁となる。
これはそれらが色法と名法に属するが故である;また、結生するその瞬間において、結生識は心識であり、心所依処と同時に生じるとは言え、心所依処の寿命は、結生識より長い為、結生識と同時に滅するという事はなく、故に(+この種の関係性を)不相応縁と言う。
(21-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>