★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』24-4(翻訳終了)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
非福行とは、一切の不善業を言う。
身・口・意の三門は、10種類に分けることができる。すなわち:
身不善業は三種類ーー殺生、偸盗、邪淫である。
口(=語)不善業は四種類ーー妄語、離間語、粗悪語、雑猥語。
意不善業は三種類ーー貪婪、瞋恚、邪見。
福行は、欲界善業と色界善業を含む。
欲界善業は、布施、持戒、禅修行、尊敬、奉仕、功徳の回向、功徳の随喜、仏法の聴聞、仏法の宣揚、已見において正直である事の、 10種類である;
色界善業は、初禅、二禅、三禅と四禅の事である。
不動行とは、無色界善業を言うーー空無辺処禅、識無辺処禅、無所有処禅と非想非非想処禅である。
無明はどのようにして、行の縁となるのか?
無明とは苦諦ーー生・老・病・死、愛別離、怨憎会、求めて得られない苦と、五取蘊の苦を知らない事である。
無明が生起する時(因・縁)、衆生は、五蘊に執着するのは、苦であるという事を知らず、またその上、それを知らないだけでなく、五蘊への執着を、楽しい事だと、誤解してしまう。
故に、天人五蘊を得たいと思う衆生は、積極的に布施をするし、持戒もする(天人五蘊は、所縁縁、親依止縁);
天人五蘊を得たいと思う衆生は、積極的に布施をし、持戒をする(親依止縁);
梵天に生まれたいと望む衆生は、積極的に色界禅定、または無色界禅定を修習する(所縁増上縁、親依止縁)。
上記の事は、衆生が、五蘊を得て輪廻する事は、楽しい事であると、誤解している事からくるのである。
ここにおいて、無明は縁法であり、無明は、因縁の縁力を通して、衆生に非福行、福行、不動行を実践せしめ、輪廻を延長せしめる(+事が分かる);
非福行、福行と不動行は、縁生法である。
衆生が、瞋恚によって、非福行を為すとき、たとえば、殺生、偸盗などを行う時、不善身門と意門心路が生じる。
(+この時)二番目の速行等において、無間縁、等無間縁、無間親依止縁、数数修行縁、無有縁、離去縁(などが縁として作用する)。
瞋恚心(縁法)が生じる時、因縁によって縁生法(+の作用)が働くーー相応心所と俱生心生色法が生起する。
心と相応心所は、俱生縁、相互縁、依止縁、相応縁、有縁、不離去縁を縁とする。
その他の11支ーー「行縁識、識縁名色、名色縁六入、六入縁触、触縁受、受縁愛、愛縁取、取縁有、有縁生、生縁老死愁悲苦憂悩」は、読者の皆様が、己自身の智慧で以て、領悟して頂きたいと思います。(終)(翻訳終了)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>