<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(雑染)ーー仏陀の諸徳に対して無智、懐疑、邪智を起す、及び不敬などを起して、己自身の帰依を雑染する事。ただし、諸々の聖者の帰依は、不破であり、雑染のない帰依である為、以下のように言う:「これは不可能である(無処)、発生しない(無余地)、成就を見たすべての人は、誰を導師にするかを、指摘する事ができる」
諸々の凡夫にとって、彼らの帰依が、破に到達していないならば、彼らの帰依は、未破であると言える。
(果)--罪を伴って彼らの帰依を破壊する事、及び(その帰依に)雑染があり、その事によってよくない果がある事:
無罪(として、彼らの帰依を破るとは、すなわち、)異熟(果報)がない為に、果がない事。
(帰依が)未破である結果、意に沿う果が得られる。
例えば、以下のように言う:
「すべての、すでに仏陀に帰依した者は、これより先、苦界に生まれることはない;人身を捨てた後、彼らは天身を受ける」
この中において、すでに(帰依を)行った(聖者)は、すでに帰依の雑染を断じ除いた為に、彼らは苦界に生まれることはない;
その他の人は、帰依によって、(苦界に)生まれる事はない。
これが、この偈頌の意味である事を、知らなければならない。
ここまでは、破、未破と果の説明である。
(2-20につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>