<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
礼賛
Vipākapaccayo atthi iti bodhentaṃ vandāmi
果報縁:
清凉で、安定していて、無熱で、無悩で、諸法を安定させる事の出来る、果報縁。
その中に衆生はなく、補特伽羅は無く、非我・非他であり、純粋に法性に属する。
無上の智でもって、斯くの如く遍知し、かつ、一切の衆生にそれを告示した仏陀・・・私はあなたの徳を憶念し、あなたの容貌を観想し、讃嘆し、敬意をもって合掌し、あなたに礼拝致します。
善哉!善哉!善哉!
最初の速行心の力
人々は、業と業果の関係を理解しないが故に、常に、己の本意とは合致しないながら、種々の善業または不善業を為す。
その為、上記の道理を理解する事は、非常に重要である。
迦葉仏は、托鉢に行く前に、必ず入定する。
この種の定は非常に安定していて、これを、滅尽定と言う。
仏陀の心は本来、非常に清浄で、安定している。しかしなぜ、托鉢の前に、仏は、滅尽定に入定するのであろうか?
それは、供養する者に、更に大きな利益を得さしめる為である。というのも、入定した後、心は更に清浄になり、更に安定・安止する。
それ故に、供養する者は、更に大きな功徳の利益を得ることができる。
反対に、供養の対象が、心猿意馬の、心思が暗く、心が不清浄な人であったならば、布施者は、功徳の利益を得る事が難しいのである。
(2-9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>