★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-18
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ウクナ外道の法
Natthi dhammacaritassa phalaṃ kaly
āna pā pakaṃ
Natthi deva paro loko ko tato hi
idh āgato(ママ)
「大王、学ぶべき、善法とか悪法とかは、ありません。
前生の業が、今生に影響するなどという事も、ありません。すべての有情は、無因によって、生起するのです」
Natthi deva pitaro vā kuto mātā
kuto pitā
Natthi ācariyo nāma adantaṃ ko damessati
「いわゆる祖父、祖母等の先輩というものはなく、父母もない。
故に、学ぶべき孝行の仕方、というものもない。
人を導く事のできる教師というのはなく、賢くて、礼儀正しく、他人に教わる必要のない人間は、その人自身が自ずと、できるのです:
賢くない人、礼儀のない人は、どのように教えても、心血の無駄であり、効力のないものなのです。
というのも、一人の人間を変える方法など、ないのであるから。
礼儀の正しい人は、元から正しいのであり、他人から教えを受けて、そうなる訳ではないのです。
世の中に、他人に教えられて、賢くなったり、礼儀正しくなったりするような人間は、いないのです。」
(2-19につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>