<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
義(=意味、内容)の上では、「離」は、欲界善心に相応する離、である。
《分別論》では以下のように言う:
「殺生から離するとき、そのとき、彼は、遠離しており、離しており、殺生を回避しており、所作がなく、作為がなく、違犯しておらず、境界を超えておらず、悪の橋を破っていない。」等。
この、離という単語は、欲界の離を含むだけでなく、出世間の離も含む。
しかしながら、ここで述べられている所の「私は受持する」は、(出世間的なもの)には適合しない。
故に、上記で、「欲界善心相応の離」であると説明されるのである。
(4-8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>