<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ビージャカ(Bi-jaka)奴隷の物語
この時、国王の随従の中に、ビージャカという奴隷がいて、彼が泣き始めた。
国王は訊ねた:「なぜ泣くのか?」
ビージャカは言う:
「私も、私の前世は奴隷ではなく、一人の富豪で、多くの善業を為した事を覚えています。
人が化縁に来る(=縁を繋ぐことを求めて来る)と、私は喜んでお布施をしました。皆は私の人となりを讃嘆したものです。
私は、人として善良であるばかりでなく、布施を好み、また、これまで良心に反する行為をした事はありませんでした。
しかし、その生で、私は死亡するや否や、結生識は、なぜか奴婢の腹中に入胎し、私は奴婢の息子になってしまいました。
私は奴隷ですが、布施を好む気持ちは、身分と関係なく、減少する事はありません。
ある時には、食事中に食べ物を乞いに来た人がいれば、私は碗の中の食べ物を布施します。すべての斎戒の日には持戒します。
私は、前世で非常に多くの善い事、布施、持戒をしましたが、よい果報は得られませんでした。アラータ将軍の説は、正しいと思います。
布施、持戒などの福の修習は、なんら善の果報を齎す事はありません。」
アラータとビージャカの二つの物語は真実である為、その場にいた人々は、強く信じてしまった。国王は、ウクナの説明した法について、深く考えて、100%ウクナの無因論を信じた。
(2-24につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>